伊佐裕に聞く「世田谷児童絵画コンクール」への思い

回を重ねるごとに賛同の輪が広がり、参加者の数も増えてきた「世田谷児童絵画コンクール」。
この活動への思いを代表取締役社長、伊佐裕に聞きました。

—子どものときから絵が好きだったそうですね。

小学1年生から絵を習い始め、3年生のときに油絵と出会いました。水性とは違う粘性で、しっかり描け、表現を重ねていける。自分の性に合ったんやろうね。それから夢中になりました。

高校(福岡の修猷館高校)では剣道部に入る予定が、油絵の匂いにつられてふらっと美術部に入ったのが運のツキ。修猷館の美術部は、芸大に行く人も毎年おるし、歴史的な絵描きも何人も輩出しています。そんな空気のなかで絵に没頭していったわけです、勉強もできんくらい(笑)。できんけん絵にいっとった(笑)。夏休みもずっと描きよったよ。県の文化会館での展覧会に、100号くらいの作品を3つ出品したこともあります。

—大きな賞も獲られたとか。

高3のときに、太平洋美術展九州展に出品してね、「坂本繁二郎賞」という最高賞をいただいたの。一般の人も出すので、最年少のほうでした。


坂本繁二郎賞をいただいた機関車の絵の前で。高3の頃。

—どんな絵だったのでしょう。

工場の引き込み線で待機している機関車を描いた。
すごい迫力やった。当時はエネルギッシュなものが好きで、漁港でトロ箱を担いでいる人々とかね。そういうのを見ていると、湧き上がるものがあるんですよね。大学へ入ってから静かな風景に惹かれていくんですが。

—絵でもっとも大事なのはなんでしょうか。

構図づくりがいちばん難しい。どこをどう切り取るか、最終的には腹やね。臍下丹田っていうでしょう。頭で考え、胸に来て、最終的には腹で決める。描くときも、目と手と、それと腹に力を入れて描くんです。

いちばん難しいのは手前の処理やろうね。風景画だと、手前に枝とか草とかを描くと調子がついてうまく見える。でも、大地と接しているという、下に行くという強い力がほしい。近景と遠景の強弱をはかることも大事です。もちろん、構図だけじゃなくて、いい絵は、構図、色彩、タッチ、一体化したときに生まれると思う。

絵は、建築と共通するところがありますね。建築を設計するときも、平面(構図)と素材(色彩、タッチ)は、本来は一体になるべきだと思うし、遠近の感覚は建築にもある。外観を見て掴んだ家の感じは内部に入っても大体その通りです。

高校を卒業した年に描いた「山間の春」。
「山間の山桜と菜の花を描いたのですが、小枝を省略できた、僕にとっては歴史的な絵です。ものの存在を掴めたな、という感じがした」。

5年ぶりに今年の2月に描いた近作「奥秩父風景」。
「杉と広葉樹の森をストイックに分けた。どう切り取るか、がいちばん大事やね」。

北国の春の訪れは格別です。絵心が湧きあがります。

—絵画コンクールを通じて、何を子どもたちに伝えたいですか。

絵を描くことの喜びですね。僕は子どもの頃、ピアノもバイオリンも習ったけど、続かなかった。でも絵だけは褒められて、それが本当にうれしかった。それから大人になっても、折に触れ、描き続けています。絵を描いているときは、自分が自分の呼吸をしていると感じる。

絵の経験は間違いなく、いまの自分につながっているという思いもあります。実は、コンクールの審査員長をつとめていただいている東京藝術大学の坂口寛敏さんは、修猷館時代の美術部の先輩なんです。美術部のOBの交友はずっと続いていて、ギャラリー櫟でも年に1回、「修美展」を開いてます。だから子どもたちにも、絵を描く経験をしてほしい。

絵画コンクールを始めて、子どもたちの絵を見ると、こちらも励まされます。本当に感動する。実際に子どもたちに会えることも素晴らしい体験です。大人も世田谷を発見するよい機会になるでしょう。このコンクールはこの先もずっと恒例にしていきたいと思っています。