私の生家は、福岡の旧唐津街道沿いに立つ町家です。
江戸末期の建造で、約150年を経たいまも、堂々たる姿で存在しています。
社会に出て、まちづくりや住宅と関わるようになりましたが、借り物のうわべだけのデザインが氾濫し、流行を追いかける業界への違和感がだんだんと増していきました。そんなある時、無垢材による確かな骨格と豊かな質感を持つあの美しい我が家が思い出され、この家を原型に本来の家を創り続けることが「私の道」だとの声が、心の内から聞こえて来たのです。
生家の土間。吹抜上部の窓から煙が抜け、光が射し込むようにつくられている。
昭和63年、伊佐ホームズを創業いたしました。以来、30余年。住まいは「美と機能」を具備したものでありたいと願い、伝統に根差した意匠、素材の美を損なうことのない新しいデザインを心掛け、お客様のご要望にお応えすべく、日々仕事に取り組んで居ります。多彩な設計スタッフと心ある職人衆を社中として成り立っている会社であります。
近年は森林環境、林業再生と取り組み、国産材を活用する住宅建築会社として、注目を頂くようになって居ります。
代表取締役社長 伊佐裕
昭和25年12月18日、福岡県福岡市生まれ。福岡県立修猷館高等学校、慶応義塾大学法学部を卒業後、丸紅株式会社に入社。住宅開発部門に所属し、マンション、大規模宅地、戸建住宅などの開発を手掛ける。昭和63年に同社を退社、伊佐ホームズ株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。現在に至る。
油絵、ラグビー
「我事に於いて後悔せず」(宮本武蔵)
ひとつの建築が竣工する、
その折々に寄せた伊佐裕の言葉。
それは思いであり、決意であり、
メッセージでもあります。
名称に相応しい
木材の強み、美しさを、生かした家
外観は耐候性を高めた杉無垢材
屋根を水平とし、街並みの形成に役立つものとした
構造、断熱性能も申し分なく
内部室内は4、5メートルスパン
鉄筋コンクリート造り並み。
森林再生を担う家である。
施主の発想力を設計者が追いかけ
出来上がった住宅
リビングから多方面へと繋がる空間
仕事の内容に応じて
場所を変えると言う
ワーケーションの理想型
家づくりは
無限の可能性を引き出すこと。
自由度と制約から生まれる美
木造の場合特にそうである
この建物は架構がそのままデザインとなり
樹齢200年の楠の木の木目が
室内の仕上げ材として役割を果たす
構造と素材の生命感が一体となった
作品となった
素材を見つめ
仕事をする。
住宅の美しさは
「屋根」と「軒」の形状で決まる
これらは護るべきものの為の
強い意志である。
そこには生命の旋律がある。
ここではバルコニーの格子が「五線譜」かの如く
建物に調べを生み出している。
この玄関ホールの仕上げは
土間・鉄平石、床・オーク、壁・石灰岩
土間の低い部分より徐々に
素材感が粗いものから、繊細なものへ
心地良くデザインされた空間と
天然素材の一体化。
建築は、「脳と心」を駆使する手仕事である。
駆使する手仕事である。
水平に組まれた板壁の家
板材の厚みが各々陰影を生じ
デザインとなる。
自然が生み出す「カタチ」
「カタチ」は無為がいいのである。
木の生命を生かして
家づくりをする。
平屋の切妻の屋根は低く、母屋を包み
下屋の軒の水平が美しく
安定感を加えるこの家
良い建物には
美しいフォルム、質量感
自然との調和がある
建築の仕事は
無機物を有機物に転じ得るかである
茶室の灯りが
露地にそこはかとなく広がり
この住人の暮らしを地面に照す
私達は はかなき「生」の中に
拠り処を求める
はかなき永遠
露地は建築物を包み、自然に還す
冬木立に佇む平屋建の山荘
大屋根は鈍く光り、
辺りに静かに溶け込む
窓よりの灯りに暮らしの
温度を測る
建築は常に「意味」と「カタチ」の
融合への道のりのことだと思う
建築は、散文詩でありたい。
方形の家
外壁は不燃杉板である
天然材だけが持つ暖かみ
素材感を面的にデザインしたのである
自然の律動が感じられる家
我社の志は家族に相応しい
存在感のある家を創ること
本年もこの尊い仕事に邁進して参ります。
自然素材のみで仕上げられた和室である。
明障子越しの光が清々しい。
デザインと素材が
伝統の上で結実し
規律性と包容力が表現できた。
自然を感じ
日本人の感性に応じた生活をする
私はその為の仕事がしたい。
暮れどきの山の稜線に
家の屋根が重なり
一つのものとなる。
窓からの明かりが
実に暖かく懐かしい。
「自然」と「家」と「人」
各々が釣り合うよう 仕事に励む
「一」になるものを目指す。
ほとんどは『芸術新潮』掲載の広告に初出。一部は著書『和なるもの、家なるもの』(講談社)にまとめられています。